全てのキャバクラ嬢(風俗嬢)に言いたいこと。

結論から言う。
キャバクラ嬢(風俗嬢)は搾取されている存在だと気づかないのか?と、言いたい。

キャバクラ嬢はどんな人がなるのか?

仕事の付き合いで新宿歌舞伎町、六本木、銀座、西麻布を中心に、福岡の中洲、大阪のミナミや北新地にはお世話になった。
西麻布はガールズバーです。という声も聞こえてきそうだが、客からしたらキャバクラと何も変わらない、隣に座って接客するシステムだ。
それぞれの街に色があるものだが、どこも本質という面では変わらないだろう。

擬似恋愛という切り口で、自ら若い女性の身体を売ってるにすぎない存在だからだ。

そして、すべからず彼女たちは身の丈に合わないことを求め、値打ちをこいてるのだ。
そんな彼女たちは、なぜ強制されているわけでもないのにキャバクラ嬢になるのか、私なりに考察していく。

女子大生キャバクラ嬢の場合

口をそろえていう言葉が「普通のバイトより効率いい」だった。
そんなことはないと断言したい。世の中にそんな甘い話があるわけがない。
効率よく、楽して稼げるわけなどないのだ。

それとも彼女たちは「擬似恋愛という切り口で、自ら若い女性の身体を売ってる」ことを認識していないのか?

それも違う。
彼女たちは認識したうえでキャバクラ嬢に自らなっているのだ。
狂気の沙汰としか言いようが無い。

社会人キャバクラ嬢の場合

私が驚いたのはきちんと名の通った4大卒の女性でも、キャバクラ嬢がとても多いことだ。
MARCHは当然、早稲田、慶応を卒業した女性たちも相当な数がいるのだ。

彼女たちはなぜ副業としてキャバクラ嬢を選ぶ必要があるのか?
学生時代に努力をして、優良企業への切符を掴めなかった人が大半のように思える。
そして、その大多数が学生時代からキャバクラ嬢をしていたことで無駄な時間を過ごし、本業である学業を放棄してきた人たちばかりだ。

周りの同世代が、社会や海外で活躍していく様をSNSで毎日見ることになり、せめて私はと「旅行」、「ファッション」、「高級料理」といったところでアイデンティティを見出そうとしている。
本来ならばどんな仕事であれ、会社に貢献するため、何よりも自分のために若いうちは仕事に没頭するほうが効率はいいだろう。
そうすれば数年後には彼女たちが望んでいる「旅行」、「ファッション」、「高級料理」も思いのままに手に入るのだ。

しかし、一度楽をすることを覚えた彼女たちは本業に対して誠実に努力することを怠り続け、キャバクラ嬢となり、身体を売ることを選択するのだ。

「稼げるのは若いうちだけだから」

などと言いながら、25歳をすぎてもキャバクラ嬢に固執し続ける女性を何人も見てきた。 当然、25歳をすぎた、業界的にはそこまで若さも売りにならないキャバクラ嬢が若い子に対抗してお金を稼ぐ手段は安易に理解できる。キャバクラ嬢という体の愛人に成り下がる人はこの年齢にとても多いように、私は感じている。

キャバクラ嬢専業の場合

キャバクラ嬢の存在全てを否定するわけではない。
その理由は、私はどんな仕事であっても1番を目指すことは素晴らしいことであると思っている。

キャバクラ嬢として1番になることを目指して日々仕事をしている人がいるのは、キャバクラ嬢専業の人だろう。

私が感じてきたのは、そういう人たちは誠実だった。
嘘には嘘が、誠実さには誠実さが返って来るのが世の常だ。
キャバクラ業界で正のループに入るためには、それ相応の誠実さが必要だろう。
天晴である。

しかし、そういった誠実さとは真逆のキャバクラ嬢専業がいる。
だいたいそういう人たちは、25歳を過ぎ、30歳前後に多い。

社会への復帰を試みたが、持ち前の金銭、計画の管理能力のなさがどこにも通用しなくてキャバクラ嬢へ戻った人。
お店で出会ったお金持ちと結婚したが、若さがなくなった瞬間に飽きられ、捨てられてキャバクラ嬢へ戻った人。
そもそも、キャバクラ嬢の生活から抜けきれなくなって、愛人生活が辞められなくてずっとキャバクラ嬢であり続ける人。

このタイプのキャバクラ嬢は失うものが何もないので、安価で身体を売ることが身に沁みついているので30分も会話をしたらすぐに分かるだろう。
アイデンティティがないので、自分の言葉というものがひとつも出てこずに、媚びる言葉しかでてこないのだ。

キャバクラ嬢と風俗嬢に違いはあるのか?

なぜこの記事ではキャバクラ嬢(風俗嬢)と記述しているのか。
それには明確な理由がある。

そもそも、キャバクラ嬢と風俗嬢は業種で言えば一括りであろう。
どういう商品を売っているのか?と考えると、より同じであろう。
「擬似恋愛という切り口で、自ら若い女性の身体を売ってる」
これに尽きるのだから。

しかし、滑稽なことにキャバクラ嬢にそう言うと大多数が腹を立てるのだ。
あたかも、「私たちは、身体を売っていない」と言ってるかのように、だ。

だがキャバクラ嬢たちは日常的に、お酒の席で酔っぱらいのおっさんを相手しているのである。
そんな状況だと何が起きるかはすぐに想像がつく。
キャバクラ嬢たちは毎日、酔っぱらいのおっさんに、肩を抱かれ、腰に手を回され、太ももをさすられ、胸と尻を触られ、キスをせがまれ、「今夜どう?」と言われているのだ。
これは安いお店も、どんなに高級な個室のお店でも変わらない。むしろ、高級店のほうがよりひどいのではないか?と思うくらいだ。

私が見てきた限り、客と寝たことがないキャバクラ嬢はいない。
愛人となり、不倫関係となり、恋愛だと信じこみキャバクラ嬢は自分たちが売っていたはずの商品である「擬似恋愛」の餌食となっているのだ。

挙句の果てに、愛人や不倫関係、恋愛だと一方的に信じ込んでいるがゆえに、キャバクラ嬢であるあなたは無料で身体を貪られているのだ。

結局は、売春行為なのだ。
キャバクラ嬢をするというのは、売春行為だという少し大袈裟と思われるくらいの認識を持っていたほうがいいだろう。

本質は売春行為なのだから。

キャバクラ嬢のあなたが今からするべきこと

まずはキャバクラ嬢を辞めることを強く推奨する。

あなたの今までの人生を振り返ってほしい。
きっといま、「でも」と考えていないか? ずっと「でも」という思考から入っていないか?

キャバクラ嬢のあなたはそうやって逃げることだけ得意になっているのだ。
女子大生に通いながらやっている人も、社会人をしながらやっている人も、思い当たる節があるだろう。
「でも」と最初に考えて、楽な方に逃げる癖が染み付いているのだ。

その結果、起こることは容易に想像がつくだろう。
結局のところ、あなたは身体を売っていくことになるのだ。
「でも」と、あなたはまた言うだろうが、わかっている男性からしたらあなたは売春婦以外の何者でないのだ。

脳みそを180度切り替え、腐った心根を根こそぎ切り落として、生まれ変わらなくてはダメなのだ。

しかし、あなたの周りには見せかけの優しさに溢れた、あなたにとっての魅力が詰まった人たちが沢山いて、口をそろえて「夜の仕事も立派な仕事だから、がんばろう」などと言ってくるだろう。
その人の眼の奥を見て欲しい。濁っていないか?
なぜあなたはその人に優しくされるのか、深く考えたことがあるだろうか?
その人たちに利用されているということに気づくのはそう時間はかからないだろう。

そんなことはできないと思うかもしれないが、シンプルな方法がある。

まずは自問自答をして、現状で想像しうえる範囲でいいので理想の自分を想像するのだ。 そして、自分に対して誠実に、嘘をつかずに生きていくのだ。

それだけが、キャバクラ嬢(風俗嬢)になってしまったあなたが唯一生き残れる道だと覚悟を持つことができれば、きっとあなたは理想のあなたになれるだろう。

アフィリエイトで月に100万円以上稼いでる人の共通点

私は、月に100万円以上アフィリエイトで稼ぎ、儲かっている人たちを100人は見てきた。
アフィリエイトでお金を稼いだ人たちは中洲から始まり、ミナミ、新地、栄、歌舞伎町、六本木、西麻布、すすきの、よく飲み歩いてる人たちが多いものだ。
月に100万円以上、アフィリエイトで稼いでいる人たちはどんな人たちなのか?

大なり小なり、みんな挫折を味わっている

大学を卒業後、10年間働いた職場からリストラされた人

転職もうまく行かず、日雇い労働を始めるが精神的に苦痛を感じてどうしても継続できなかった。
一念発起して貯金が尽きるまで、アフィリエイトに賭けた人だった。
2年後には月に2000万近く稼ぎだす人になっていた。とにかく常に人のことを考えている人だった。ここまですべてのことに細かいことを気にする人はいなかった。

夜の仕事に嫌気がさして

もうすぐ30代に突入するというところで、このまま黒服を続けてていいものか。
いつか自分のために投資しようと思って貯金していたお金で一念発起。
日本を変えるのは俺だ!と言わんばかりのパワーで働きだしたその人はアプリ系のアフィリエイトで莫大な収益をあげていた。
毎日、自分を律するためにタスク管理がとても優れた人だった。

ニート生活を脱却するために

「俺だけは特殊な人間なんだ」という典型的な無気力なニートだった人は、貯金もなくなり困っていた。
とにかく身の回りのものを売ってお金を作ろうとしたときに、より高く売る工夫を考えた。
せどりの存在を知った彼は、2年間で起業資金を貯めてアフィリエイトに参入してきた。

アフィリエイトで月に100万円以上稼いでいる人の共通点

  • 自分の存在価値を否定されるような挫折を味わった過去がある
  • 深く、自問自答をしている
  • とにかく人のことをよく見ている
  • とにかく人を楽しませるためにお金も時間も惜しまない
  • 他人のせいにしない

だから、アフィリエイトサイト作っても稼げるんだな、と納得するような人ばかりだ。

アフィリエイトで稼ぎたいなら

同じひとつのものを見ていても、稼いでいる人には色々な視点から見ることができていると日々、感じている。
多角的な目線でひとつの事象について捉えることができ、それを色々な解釈で説明し、納得させることができている。
それができるから魅力的なアフィリエイトサイトを構築出来るんだと思う。
それはデザインやシステム、営業、などなど森羅万象、共通することではないだろうか?

感情を豊かに、自ら積極的に色々なことに挑戦して咀嚼することを日々意識することが大事だろう。
漫画が好きなら漫画でもいい、アニメでも、ドラマでも政治でも経済でもなんだっていいと思う。
受動的に情報を受けていてもつまらない。能動的に、日々の小さな出来事に挑戦していくことが第一歩ではないだろうか。

中卒ニートだった俺が30歳になる前に年商1億円を達成した。

今でも思い出すのは、廃棄されているゴミ袋を漁って、今日一日を生きる為に必死だったこと。

今でも思い出すのは、家賃催促の電話とインターホンが鳴り止まないこと。

今でも思い出すのは、電気代が払えなくてロウソクの明かりを頼りに生活してたこと。

今でも思い出すのは、社会は私を見捨ててるんだ。なんで私だけがこんな目に合わなきゃいけないんだ、みんな私の敵なんだ、という感情。

きっかけ

明るくて、勤勉、そしてずっと世の中に疑問を抱き続ける学生だったと記憶している。

校則に「長髪は禁止、流行を追った髪型は禁止。学業に支障がでるためで、学生は本業の勉学に励むべし。」

なんて書かれていたら、寝る間を惜しんで勉強に取り組んだ。 上位に食い込むがことができると、金髪にしたり、ピアスをあけてみたりしたものだ。 中学生時代の話だが、当時はどうしても大人が作った校則を受け入れることができなくて、反抗がしたかったわけではないが、疑問を抱き続けてそんなことばかり繰り返していたと思う。

そんなことをしている私がどうなったか想像するのは難しいことではない。 高校もすぐに退学し、家出。 日雇い労働と、誰にでもできるアルバイトしかすることがない人生が待っていた。

20にもなると、さすがに自分が置かれている状況は理解できてきた。 だが現状を受け入れることなんてできなくて、せめて格好いい仕事をしたいと思い、アパレルの店員やバーテンダーなどを経験してきた。 中途半端な気持ちで働くから当然、誰も評価してくれない。 こんなところにいるから私は誰にも評価されないんだ。

そして、上京。 もちろん、上京したからといって私自身が変わることはなかった。 より厳しい社会が、私を負のスパイラルに陥れる。 さらに、似たような境遇の人たちとの傷の舐め合いが続き、アルバイトも辞め、とうとうニートになった。

冒頭の文章はその当時、毎日考えていたことだ。 それ以外のことを考えていた記憶がない。

そんな日々に、ふと何のための人生だ、と夜の渋谷を1人徘徊しながら深く自問自答することになった。 どうせ落ちるところまで落ちたのだから何も怖くない、という無敵感がやってきた。

ネットカフェに行って、調べたのはパソコンを使ってできるお金稼ぎはなんだろう?と必死に調べた。 どうやら HTML というもので WEBサイトができているらしい。PHP というプログラミングで作業を効率化できるらしい。 メモ帳と Internet Explorer を使って「Hello, world!」を表示させた時の全能感は凄かった。 単純な私はそこから毎日、寝るのも、風呂に入るのも、ご飯に入るのももったいなとすら思えるくらいパソコンに向き合うことができた。

WEBデザイナーを名乗るようになり、初めて友だちのバンドのホームページを5万円で作る日まで、そう時間がかかることはなかった。 運がいいことに、引越した先でネット回線を引きに来た業者がWEBデザインを出来る人を探していた。 毎日色々な家やオフィスにネット回線を引きに行くものだから、ついでにホームページも作って欲しい、という要望がかなりあるとのことだ。 正直、そこまで優れているWEBデザイナーではなかっただろう。 だが、ありがたいことに熱意を買ってくれて色々な仕事を経験させていただくことになった。

そこからは、効率化のためにプログラムの勉強、Linuxサーバの勉強など、毎日が勉強と仕事の日々だった。 そんな私を見て、仕事を手伝いたいと言ってきた人がいた。 彼もまた、人生を捧げてるといっても過言ではない仕事と価値を私に与えてくれた。

そして、想像もしていなかったことだが、売上と利益、税金を考えると、法人化する段階まできていたのだった。 「起業する」なんて私の人生にあるとは思ってもいなかったし、自分とは別の世界の住人なのでは?とすら思っていた。 心の準備も知識も何もないが、そういう状況になったことを今でも覚えている。

起業後は特に大きなトラブルもなく、従業員や私が食べる分には何も困らない生活をしていた。

しかし、とある日に従業員が1人辞めたのだ。 「以前のようなギラギラさがなくなった。安定した普通の会社には魅力を感じない。」と言われたのだった。

試行錯誤した結果、今まで学んできた技術を使ってアフィリエイトサイトの運営をスタートするまでには時間はそうかからなかった。 イケてるWEBサービスで未来のザッカーバーグ!なんてことは到底考えきれなかったので、今出来る範囲でリスクを背負わずにやれることだったからである。 そんな性格だから、きっとその従業員も辞めたのだろうけど私にとっては大きな大きな、未知への挑戦だった。

WEB制作会社を経営するに至ったこと、アフィリエイトサイトの運営を始めたきっかけは以上である。

どうやって年商1億円を達成したのか

この記事を書くにあたって、ネットで「年商1億円 稼ぎ方」なんて検索すると出てくるのは、情報商材系のサイトやライフハック記事ばかりでてくる。 どれもこれも現実味がなく、私の血となり肉となる情報はなかった。

では具体的に、お金を稼ぐために自問自答し続け、若輩者なりの答えを挙げてみる。

  • 本質とは何か?
  • 覚悟とは何か?
  • 敬意とは何か?

それではそれぞれを紐解いていく。

本質とは何か?

人は、誰かに明確な意見を求めている。

ひとつのニュース、事象に対して、多角的な視点を持つことを心がけた。 その事象に対して、私は明確な自分の意見を持つように心がけていた。 「まぁそんな意見もあるよね」というリベラル気取りな意見を普段から言っていると、敵は作らないが、心の底から共感してくれる人はいないだろう。 明確な意思表示と、それ以外の多角的な視線を持つことで本質とは何か?と日々自問自答をしつづけることによって、アフィリエイトサイトの質が売上の数字として現れてきたのだった。

覚悟とは何か?

ダイヤモンドは砕けない

そう、ダイヤモンドは砕けない。 もちろん、それだけに価値があるわけではないだろう。 だが、覚悟とはそういうものだと思っている。 一度達成すると決めたことに関しては、どんな手段を使ってでも達成する覚悟が必要だった。 普段あなたがしている仕事は本当に最善の方法なのか? 自分の限界を超えなくては行けない時にこそ、新しいアイデアが生まれるものだ。

敬意とは何か?

「ありがとうございました。」

これで終わってはダメだ。私は常々公言していることをひとつ。

人を動かして初めてお金が発生する。

どんな商売でもそうだろうと思う。 どんなに良い物を作っても、どんなに素晴らしい企画でも、人が動かないことには価値を出せないものである。 アフィリエイトサイトでもそうだ。わざわざ検索ワードをブラウザに打ち込んで、サイトに訪問していただき、商品を買っていただくのだ。 人が動いているのである。 敬意とは、簡単なことなようでとても奥が深く、あなたの仕事にも本当はもう一歩先の敬意の表し方があるのでは?

年商1億円を達成した後にしたこと

夢がない話をすると、生活の本質が激変することはなかった。 外見が変わっただけで、やっていることは何も変わらないのだと私は感じた。 渋谷の路地裏で、缶ビール片手に地べたに座り込んで夢を語りあってたことが、六本木、西麻布の高級ディナーを個室で会食することになっただけである。

誰もが羨む高級車も買い、高級時計も買った。しかし、本質的なものは何も変わらない、ただの移動手段と、時間を確認するツールであった。 もちろん、それがきっかけで知人から仕事の声をかけて頂く機会も圧倒的に増えたが、そんな私を見て、惹かれた人が頼んでくる仕事は、なんせ頓挫することが多かったりするものだった。

現実的な話をもっとすると、135円の特売牛乳を狙って買っていたのが、コンビニで200円の牛乳を買うようになったり、ヨード卵を買うようになったり、カレーにちょっとだけいい牛肉を使うようになった。 その程度である。

しかし、大きな違いがある。 今までは我慢してきて、選択肢がそれしかなかったことから、自分で選択できるようになったことである。 これは意思決定する機会がより多くなり、すべての事象に対して深い考察が加味されていくのがどんどん体感できたのだ。

牛乳や卵といった日常的には深く考えていなかったことが、自分の意思のもと決定して買うものに対してはどんどん知識も増えていったのである。 結局なんでもそうやってアフィリエイトサイトに結びつけるコンテンツになりうることに気づけたのは我ながら、見え方ひとつで色々なことが変わるものだと感心するに至った。

私の意味はなんだろうか?

私は何のために、そうまでしてお金を稼ぐことに固執して20代の大半を仕事に注ぎ込んだのか。 劇的に人生が変わることはとてもないのだが、やはり自分の意思決定のもと時間とお金を選択できる人生はとても素晴らしい物だと感じている。

私が私である意味は何なのだろうかと自問自答をし続けていた結果、少しでも多くの人に努力することや、どんな状況からでも這い上がれることはできるよ。と、私自身も体現して、伝え、喜びを共感し分かち合えることに、いまは充実を感じている。 この先はメルマガ登録してくださいと言いたいところだが、それは与沢翼氏に任せよう。

私にしかできないことはなんだろう? 私だから伝えられることはあるのではないか?このブログでアウトプットすることで誰かの意見や批判が貰えたらそれが私の糧になり、道標になるだろう。 いま一度、インターネットの力に驚かされたいと、私は心の底から願っている。

AZABUについて

AZABU とは

自分語り、いいスカ?

結論から言えば、中卒ニートだった私がプログラミングに出会ったことで人生に意味を見いだせることができた。

WEB制作会社を経営しつつ、アフィリエイトメディアの制作、コンサル、開発をしている。 情報商材はしていない。

オープンソースの考えが好きなので、できるだけ自分の得てきた知識や体験、それに加えて日々の思考を整理するためにアウトプットしていく予定だ。

連絡先

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